山村 良啓(やまむら たかひら、正徳元年(1711年) - 天明6年(1786年)12月)は江戸時代の尾張藩の重臣。第8代木曾代官・福島関所の関守などを歴任した。

「士侗」の字で呼称されることもある。子に良恭、良由(蘇門と号す)がいる。養女のとや(香詮院)は徳川宗武の側室となり、松平定信を生んだ。

略歴

正徳元年(1711年)、 山村甚兵衛家4代の山村良豊の次男(5代の山村良忠の弟)の山村良尚(十郎右衛門)の子で、江戸の分家筋の旗本山村良考の三男に生まれた。

後に、尾張藩の重臣で幕府との二重封臣である、山村甚兵衛家7代の山村良及の婿養子となる。

延享3年(1746年)良及の隠居により、家督を継ぐ。

天明元年(1781年) 9月に隠居し、子の山村良由に家督を譲る。同時に第8代木曾代官の位も辞任。

天明6年 (1786年) 死去。享年76。

関連項目

  • 山村氏
  • 木曽谷

参考文献

  • 『日本人名大辞典』(講談社)
  • 寛政重修諸家譜-江戸幕府の歴史書。
  • 『山村蘇門』(木曽福島町教育委員会)
  • 『広辞苑 第五版』(岩波書店)

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