国津御祖神社(くにつみおやじんじゃ)は、伊勢神宮皇大神宮(内宮)の摂社。本項目では、国津御祖神社と同座する、内宮末社の葦立弖神社(あしだてじんじゃ)についても記述する。
2社とも倭姫命の定めた神社である。
概要
三重県伊勢市楠部町字尾崎2132、五十鈴橋のそばに鎮座する大土御祖神社・宇治乃奴鬼神社の参道を奥へ進んだところに鎮座する。
社地は「茶屋の森」と呼ばれる。社地の面積は370.87坪(≒1,226m2)。『皇大神宮儀式帳』に「坐地大土神社之四至内」とあり、平安時代より大土御祖神社と同じ地に鎮座していたことが窺える。
2社は同座しており、社殿は1つである。神明造板葺の社殿は南の方角を向いており、一重の玉垣に囲まれている。賽銭箱は置かれていない。『皇大神宮儀式帳』によれば、社殿は板葺ではなく萱葺であったという。
国津御祖神社
国津御祖神社は、内宮の摂社27社のうち第11位である。
祭神は宇治比賣命(うじひめのみこと)・田村比賣命(たむらひめのみこと)。2柱とも国生(くなり)の神の御子であり、産土神であるという。田村比賣命を「村田比賣命」と記載する古書も多いが、誤記と見られる。
祭神が国生の神の御子であることから「御子社」の別名がある。ほかに用例は少ないものの、「一本社」・「一元社」の異称もある。
葦立弖神社
葦立弖神社は、内宮の末社16社のうち、第14位である。社殿は中絶し、国津御祖神社に同座する。
祭神は玉移良比女命(たまやらひめのみこと)。宇治都比女命(うじつひめのみこと)の子であるとされ、産土神であるという。宇治都比女命は国津御祖神社の祭神・宇治比賣命と同じであると考えられている。
歴史
伊勢神宮の摂社の定義より『延喜式神名帳』成立、すなわち延長5年(927年)以前に創建された。『皇大神宮儀式帳』にも「国津御祖社」として記載があることから延暦23年(804年)以前から存在したことになる。
中世以後、祭祀が断絶し、寛文3年12月22日(グレゴリオ暦:1664年1月20日)に遷御(せんぎょ)の儀を行い再興された。大土御祖神社の旧社地を特定が容易であったため、同じ社地の国津御祖神社も労せず旧地に復興された。明治4年(1871年)に葦立弖神社を国津御祖神社へ同座させる。
社殿は1914年(大正3年)に造り替えられた。45年後の1959年(昭和34年)7月に建て替えられ、1982年(昭和57年)10月に大修繕が施された。
祭祀
国津御祖神社で行われる祭祀は、大土御祖神社と同じである。すなわち、巡回祭典の形で祈年祭(2月)、月次祭(6月・12月)、神嘗祭(10月)、新嘗祭(11月)の際は社殿の前で祭祀が行われ、歳旦祭(1月)、元始祭(1月)、建国記念祭(2月11日)、風日祈祭(5月・8月)、天長祭(12月23日)は遥祀を催行する。
植物相
大土御祖神社と同じ社地に鎮座するため、植物相も同じである。
1977年(昭和52年)に行われた境内の立木調査によると、カヤノキ・マキ・スギ・ヒノキ・カシ・シイ・クスノキ・ヤブニッケイ・シロダモ・タブ・トベラ・モチノキ・ヤブツバキを主要樹種とし、計258本あった。
交通
国津御祖神社・葦立弖神社の東には神宮神田が広がる。付近には伊勢市立四郷小学校、伊勢市役所四郷支所、櫲樟尾神社(くすおじんじゃ)がある。
- 近鉄鳥羽線五十鈴川駅より
- 徒歩約13分(約1km)。
- 伊勢市コミュニティバス「おかげバス」乗車、「四郷小学校前」バス停下車、徒歩約1分(約150m)。
- 伊勢自動車道伊勢ICより国道23号を南下、「楠部」交差点を左折、三重県道37号鳥羽松阪線を東へ約1分(約750m)。付近に駐車場はない。
脚注
参考文献
- 宇治山田市役所 編『宇治山田市史 上巻』宇治山田市役所、昭和4年1月20日、862p.
- 学研パブリッシング『伊勢神宮に行こう』Gakken Mook神社紀行セレクションvol.1、薗田稔監修、学研マーケティング、2013年7月4日、82p. ISBN 978-4-05-610047-1
- 式内社研究会 編『式内社調査報告 第六巻 東海道1』皇學館大学出版部、平成2年2月28日、690p. ISBN 4-87644-080-8
- 『お伊勢さん125社めぐり』別冊『伊勢人』、伊勢文化舎、平成20年12月23日、151p. ISBN 978-4-900759-37-4
関連項目
- 神宮125社の一覧
- 伊勢国の式内社一覧
外部リンク
- 国津御祖神社(くにつみおやじんじゃ) - 財団法人伊勢神宮崇敬会(葦立弖神社の説明を含む)
