久保田 敬一(くぼた けいいち、1881年(明治14年)4月13日 - 1976年(昭和51年)1月27日)は、日本の鉄道官僚。工学博士。貴族院男爵議員。
経歴
男爵・文部大臣久保田譲の長男として生まれ、1936年(昭和11年)に襲爵した。1905年(明治38年)、東京帝国大学工科大学土木工学科を卒業。アメリカ合衆国に留学し、鉄道・橋梁建築を学んだ。帰国後、鉄道院雇、同技師、東京建設事務所長、鉄道省建設局線路調査課長、同工事課長、名古屋鉄道局長、東京鉄道局長、鉄道省運輸局長、鉄道次官などを歴任した。運輸局長の時には外国産のバスに押されていたところ、国産バスの開発推進を菅健次郎に指示した。
1934年(昭和9年)に退官した後は、鉄道協会理事、大日本体育協会専務理事、東京オリンピック組織委員会事務局長などを務めた。
1938年(昭和13年)7月16日に補欠選挙で貴族院議員に選出され、公正会に所属し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
1943年(昭和18年)には日本通運社長に就任した。その他、帝都高速度交通営団評議員などを務めた。
1947年(昭和22年)第1回参議院議員通常選挙に全国区から立候補したが落選した。墓所は染井霊園。
親族
- 広井勇 - 妻の父。土木工学者。東京帝国大学教授。
- 久保田広 - 長男。工学博士となり東京大学教授を務めた。
栄典
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章
脚注
参考文献
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版(上)』人事興信所、1937年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版(上)』人事興信所、1939年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。



